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NEKO THE HISTORY(2015~2016)

2015年5月)3度目の東南アジア大会(シンガポール)無念の6位敗退。

ヘムブンティンは2007、2009年に銀メダルと銅メダルを取った。3度目の挑戦で逃した猫に、カンボジアオリンピック委員会の態度は厳しいものとなり猫を積極的に推薦する体制ではなくなった。オリンピックを含め、次回の国際大会は、記録が猫に及ばなくても、若いランナーを出すべきとの声も多くなった。また、東南アジア諸国にとってメダルの可能性があるSEA GAMESはオリンピックより重要だ。

国をあげて支援した猫が、メダルを3回も逃したことで、今後の代表入りはほぼ絶望といってもよいほどの悲観ムードがあった。

当方(チーム猫)も、これ以上無理やりチャレンジして、カンボジアオリンピック委員会との関係を悪化させる必要はないと判断していた。カンボジアオリンピック委員会に委ねることとした。

2015年11月)チャイ・キムサンコーチ、逝去

カンボジア陸連コーチ(通称年寄りコーチ)がガンのため急逝。80歳と高齢だが、60年前のSEA GAMESのランナーで銀メダリストであるカンボジア唯一のレジェンド。

※シンガポールで猫が必ずメダルを取ると信じていたレジェンドコーチ。猫が走る前に、神に祈りを捧げる姿もあった。しかし、猫はメダルを取れなかった。コーチは本当にがっかりして、放心状態であった。同じく猫もしばらく放心状態であった。

2016年5月7日)そして、最後の戦いが始まる。 

2016年初頭、村上とビサールがオリンピック委員会へ掛け合った。数ヶ月に及ぶ奮闘のすえ、呼び出されたビサール。

オリンピック委員会理事長は決定を言い渡す。「リオ・オリンピック出場のための国内競技大会」の開催を行うというのだ。

もともと、東南アジアではオリンピックそのものについての理解が不足しているが、キャリアや成績関係なく、才能ある挑戦者の発掘や、まだ若い選手たちにも平等のチャンスを与え、オリンピックへの士気を高めることを目的に開催するのだという。

公平を規するため、これまでの成績を考慮しないという、よくわからない理屈だ。

猫は、この試合に全てを賭けるのだった。そのときから、これまで一緒に練習してきた仲間たちはライバルとなった。

いつも猫の後ろをぴったりとついてくる、国内2位のマビローをはじめ、ロンドン五輪では、猫の代わりに800M走で出場したサモーン、さらにはまだ実力が未知数の10代のランナーたち――。プノンペンより海側に向かって数10KMの所で、その大会は行われる。

シンガポールの一件以来、かなりやる気を失っていたビサールも、猫と同じく数日前から現場に駆けつけ、オリンピックを目指した当初の頃のように、猫とともに入念にコースをチェックする姿があった。

例によって、給水所や道標などの手配が行き届いていないと思われ、大量のドリンクを積んでバイクでランナーたちの後ろにつけるビサール。スタート。早朝でも気温が高かった。次々と脱落していく選手たち。猫も例外ではなかった。やはり暑さには慣れない。さらには意外なことに、万年2位のマビローが急接近していた。大ピンチを迎える猫。やばいよ、やばいよー。

付き人ビサールもハラハラ。

そして、試合はゴール寸前で勝敗を決するのだった・・・

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