猫ひろし・オリンピックを目指しカンボジア国籍を取得すると発表!
2011年2月、カンボジア観光大臣であるトン・コン氏よりスポーツ選手として初の国籍推薦状をもらった猫。カンボジア国籍申請には、日本外務省、警察庁より発給される通称無犯罪証明書といわれる「警察証明書」が必要であるが、その発給には対国ごとに日本の規定があり、カンボジアの場合は政府からのの推薦状が必要であったのだ。
カンボジア人スタッフの“ビサール”と奮闘のすえ、カンボジア内務省や外務省に書類を申請、面接までごぎつける。2011年11月にインドネシアで行われる「東南アジア大会」にカンボジア代表で出場しなければ、ロンドン五輪は間に合わない。それにはカンボジア人パスポートが必要であった。
2011年11月8日)インドネシア入りの前日にトラブルに見舞われる
無事パスポートが発給され、10月末、トン・コン観光大臣主催による東南アジア競技大会の壮行会に参加。プノンペンに滞在中のこと、出発前日11月7日にトラブルに見舞われた。
外出先にて日本人グループ数名にに待ち伏せされ、「東南アジア大会出場を辞退しろ」との脅迫。ちょうど、本作監督の鈴木氏が密着撮影していた最中に起こった出来事である。プノンペンというあまり治安が良いとはいえない土地柄と、脅しを受けたことで二人は恐怖に震えたという。
なんとか怪我もなく逃れることができ、無事11月8日に出発した。
2011年11月16日)猫ひろし、インドネシア・
東南アジア競技大会にカンボジア代表として初出場。
当時のカンボジア記録、ヘム・ブンティンの2時間31分58秒を上回り、1位をとらなければ国籍をとったところでロンドン五輪には出場できないという重圧の中、多くの日本メディアがインドネシアに大挙して押し寄せた。猛暑の中、気絶しかかりながらのゴールとなった。
記録は2時間37分39秒で5位、ロンドン五輪が遠のいた。
2012年2月2月5日)ロンドン五輪へのラストチャンスを賭けた勝負(大分)
翌年2月の別府毎日大分マラソンに出場。2時間30分26秒で、当期カンボジア記録を塗りかえ、ロンドン五輪出場条件をクリアーした。
そのときの囲み取材にて新聞社がメザシを用意しておりくわえさせられた。
その後「ロンドン五輪決定」として大きく報道されたが、このメザシ写真ばかりが使われ、“ふざけている” “このような人がオリンピックに出るのか”といった批判も出始めた。
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